七日市区

七日市区の山の神は、時期は明らかではないが「愛宕信仰」と習合し、現在は七日市上り組が愛宕権現を祀っている。七日市は、古くから波瀬、宮前と並んで宿場町として栄えていたせいもあり火災が多かったようだ。そのため、いつしか自然と「火伏せの神」の愛宕権現と結びついたのだろう。毎年松阪の「龍泉寺ーあたごさん」でお札をもらい受け、七日市上り組の境界の2カ所にお札を立てて災難を防ぎ、また上り組の各家庭へもお札が配られている。祭祀は正月7日と決められており、一年毎に変わる当番制で各組員が祭祀の準備をしている。その日は旧年中のお札などを持ち寄り「どんど火」で燃やし、般若心経を唱えてお参りし、最後に「お餅撒き」をして終了する。このように現在では祭祀も随分簡素化されているが、「飯高町郷土誌」によれば、以前は「山の神の小祠」と「愛宕権現の小祠」の2つの祠を一年中毎日各家庭に回していたのだといわれる。祠が回ってきた家では、灯明をあげ、お供えをし、般若心経をあげて翌日次の家に回していたのだ。また平年は松阪の愛宕さんで貰い受けるお札も、5年に1度は代参講で選ばれた代表者たちが京都の愛宕神社まで出向いたようだ。京都の愛宕山に集まった修験者たちによって愛宕信仰が江戸時代中頃から日本各地に広まった史実は、七日市の泉谷家(屋号は鳥屋)が、大定峠に元禄14年鳥屋吉助が建立した役小角の祠を代々お祀りしていることと符号するように思われる。今も祠は小高い山の中腹に祀られている。普段は誰も立ち入る事のない、この静かな七日市でも、ひときわ静かな鬱蒼とした森の中にその祠は鎮座している。そこは、時折鳥のさえずりだけが聞こえる、下界とは隔絶した場所だった

七日市 「飯高町郷土誌」から

2019年 愛宕さん 飯高町七日市

さてもわれわれ、伊勢へ七度(ななたび)熊野へ三度(さんど)、愛宕さまへは月参り、の大願を起し、…十返舎一九「東海道中膝栗毛」より