粟野区

​九十九曲(九曲)地区

九十九曲(九曲)、「つづらくま」と読む。九曲城跡(城主粟野半六郎)の山頂、八幡神社のお社の隣にひっそりと小さな山の神の祠がある。地表に露わになった大木の荒々しい根が、昼間でも薄暗いこの場所に、より一層異界の趣を添えている。まるで近づく者に今にも立ち向かってくるような気配さえ感じさせる。麓の案内板から山頂までの道は、地域の人たちの手で良く整備されていて10分程度で辿り着く。それでも地元の高齢者たちにとって山頂までの道のりは厳しく、今は集会所に山の神の掛け軸をかけてお祀りしている。

広尾地区

祠は旧国道沿いにあったが、二度の移転を経て現在は粟野コミュニティーセンター近くにある。トヤの輪番制はなくなって有志の方々がお祀りしている。

地の添え地区

修理中なのか祠にはブルーシートがかけられている。毎年正月に地元の人たちによって祝詞をあげてお祀りする。その後お餅撒きをして親睦会(初寄り)で終わる。

向粟野地区

祠は大日堂境内脇にある。各自がお参りした後、集会所に集まって親睦会(初寄り)がある。現在は祭祀等は行われていない。

下粟野地区

祠はない。正月第一日曜日の夜、集会所に山の神の掛け軸をかけ、般若心経をあげてお祀りする。その後、親睦会(初寄り)で終わる。

田引区

その昔、山には神が宿ると古くから言い伝えられ、その山を所有する林家や林業に従事する山造りは年に一度各組ごとに輪番制で森林の育成及び山造り達の安全を祈願して祠にお供え物を奉納し山の神と称し、自らも組内で飲食を楽しんだ。またその時代は今日のようにエンターテイメントなどの娯楽行事が殆ど無く、それ自体が当時組内での楽しみの一つであったであろう。その日一日は飲めや歌えの大騒ぎをし、その儀式を行うことでまた明日から頑張って山の仕事をしようという活力になったのであろう。しかしながら、いつの時代からかそんな風習が徐々に途絶え、今の世代ではその存在すら知らない若者が多い。時の流れにより様変わりしたということだろう。そして林業の衰退で山林の荒廃による環境への悪影響は大きな問題となってきております。 ( 田引区長 萩原利明 )  

田引(中切地区)のK様宅に保存されていた「山の神」の掛け軸

宮本区に比べて、祭祀は随分簡素化されてはいるものの粟野区にはまだ山の神の祠が残っている地区も多い。地域の人たちは、祭祀色を薄め親睦会(初寄り)としてその日を迎えている。一方、田引区では一つの祠も残存しない。祭祀も全く行われていない。そして「山の神」の存在さえ知らない若者たちも少なくない。